帝室林野局

 

(ていしつりんやきょく)

【近代】

明治18(1885)年12月23日、大面積の官林・官有山林原野・官有鉱山等を皇室財産に編入する見込みを以て宮内省内に御料局が置かれる。同41年1月1日には宮内省の官制改革により御料局は帝室林野管理局と改称し、宮内省の外局となり、大正13(1924)年4月の官制改革で帝室林野局と改称する。局長および次官にあたる主事の下に理事・技師・技手・技手補が置かれた。管理機構は御料局時代から幾度かの変遷を辿るが、大きく分けて本局・本局直轄御料地管理機構・それ以外の地方管理機構となる。本局内は、御料局~帝室林野管理局創設期には御料地事業の拡大に伴って2課から7課1掛へと拡大するが、帝室林野管理局時代から事務の簡素化が進み、帝室林野局時代には管理部と業務部の下に7つの課が置かれる体制となった。本局直轄御料地の管理機構には事務所・出張所があり、本局直轄御料地が置かれた宮崎・三重・関東東北・近畿等の適地に置かれた。本局直轄以外の広大な御料地は、支庁・支局と呼ばれる本局から比較的独立した裁量を認められた機構で管理された。御料局時代には佐渡・生野(明治22年4月1日~29年10月31日)・静岡(明治22年9月1日~)・名古屋(明治22年木曽支庁→25年2月1日から改称)・木曽(明治36年7月1日~)・札幌(明治23年8月1日~)・甲府(明治39年8月1日~)の支庁が置かれる。帝室林野管理局時代の大正3年8月15日に支庁は支局と改称され、札幌・東京・名古屋・木曽の四支局体制となり、以後は戦後にかけて大きな変遷はなかった。市域の御料地は、明治22年設置の木曽支庁時代から名古屋支庁・支局時代を通じて岡崎・新城両出張所で管理された。岡崎出張所は大正5年8月1日に豊橋出張所と改称されるが、市域に限ってみた場合、管理区域はおおむね東西加茂・額田・碧海郡であった。これに対し、新城出張所は市域では北設楽・東加茂郡の一部(明治34年~)を管理した。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻303・467・599ページ

→ 官林御料林