鉄砲山

 

(てっぽうやま)

【近世】

 天保13(1842)年正月に内藤政優が挙母村字八迫に設けた操練場。現在の朝日丘中学校の隅に位置する。周辺は「鉄棒」とも呼ばれており、「鉄砲」の誤記とする資料もある。また、天保年間の築造によるので「天保山」と呼ばれたともいう。大きな的山を築き、犬追物や打毬等を催したり、弓や銃の試射をしたりしており、以後も練兵に用いられた。