寺子屋

 

(てらこや)

【近世】

武士・医者・村役人などが師匠となって庶民の教育を行った民間の教育機関。対象は庶民の子どもが中心で、「寺子」「筆子」と呼ばれた。寺子には男児も女児もおり、師匠には女性もいた。正月や節句の時に、寺子は「祝儀」もしくは「束脩」として金銭を師匠に渡した。経済的に苦しい寺子は、金銭以外に食べ物や衣料品を師匠に渡しており、そうした寺子に対しては、師匠が筆といった必要な文房具を援助することもあった。一色村金剛寺の僧侶大鈞海門禅師が開いた寺子屋には、金剛寺の所在地である現在の藤岡地区だけでなく、旭・小原・松平・足助・石野地区といった市域全域や岐阜県土岐市など、広域から筆子が通っていた。寺子屋では、主に読み・書き・計算を教えた。師匠は手習い本を寺子に与えて、いろは・数字・十干十二支・方角・人名・地理といった基本的なものから教えた。また、往来物と呼ばれる手習い本で、書状のやり取りを身につけさせた。都市部だけでなく農村部においても貨幣経済が浸透して計算の教育が重要視されるようになると、師匠は『○○塵劫記』と呼ばれる珠算の教科書を使用して寺子に計算能力をつけた。なお、富裕な家の子どもは、通常は遠方の師匠から書状を通じて指導を受け、年に何度か師匠の直接指導を受ける通信教育によって手習いや画を学ぶこともあった。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻628ページ

→ 手習い本