(てらだけんしょうに)
【近世】
寺田重賢の妻。喜儀。文政3(1820)年39歳で重賢が死去すると、妻の喜儀は後家として寺田家を数年間取り仕切った。また、東本願寺から法名「堅正尼」を与えられた。『三河国艶桜和歌集』に和歌が掲載されるなど、歌人として広く知られる。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻575・595ページ
→ 和歌
寺田堅正尼 1789~1871
(てらだけんしょうに)
【近世】
寺田重賢の妻。喜儀。文政3(1820)年39歳で重賢が死去すると、妻の喜儀は後家として寺田家を数年間取り仕切った。また、東本願寺から法名「堅正尼」を与えられた。『三河国艶桜和歌集』に和歌が掲載されるなど、歌人として広く知られる。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻575・595ページ
→ 和歌