(てんのうしんこう)
【民俗】〈年中行事、信仰〉
厄病除けの神である牛頭天王に対する信仰。市域では尾張津島の牛頭天王社(現津島神社)の分霊を迎えて祀っているところが多くあり、旧6月中旬頃に祭りを行った。これは津島の天王祭がもともと旧6月15日と16日に行われていたことに由来する。天王祭、天王さんなどというが、同じく牛頭天王を祀る京都の八坂神社の祇園祭にちなみ、祇園祭、祇園さんと呼ぶ地域もある。平野部の祭りは、津島市まで出かけてお札を受けて来てから行った。天王祭には山車や屋形を出したほか、笹竹に提灯をぶら下げて参拝し、神社へも奉納するなど、提灯を灯して行われることが多く、子どもの行事として行う地域もあった。迫(藤岡地区)では津島神社の境内に1年の日数の365個の赤い提灯を灯して行った(写真)。広幡(保見地区)では竹の棒に色紙をつけた「ダシ」を立てたダシ神輿を奉納した。八草(保見地区)では、上切、下切の2つのムラ組でそれぞれ別の天王社を祀っており、7月に津島神社に代参して御札を受け、地元で祇園祭を行った。前夜祭であるシンガク(試楽)と翌日のホンガク(本楽)の2日間催行され、上切、下切のそれぞれから山車が出た。東広瀬(石野地区)では7月6日が天王祭りで、各家では笹竹にホオズキ提灯を7、8個吊るし、子ども達は広瀬神社にお参りして火を点じた笹竹の提灯を供えてきた。挙母の町場では町ごとに天王が屋根に祀られていて、7月の終わりにお天王さんの祭りを行った。各町内では社に提灯を点じ、大きな行灯に絵を描いたものを吊るした。また、商店などでは人形飾りをした。季節柄、天王祭の時に祭礼道具を虫干しする地域も多かった。〈年中行事、信仰〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻723・806ページ、16巻657・754ページ