(どあいやくしょ)
【近世】
旗本鈴木家が知行所支配のために渡合村(足助地区)においた役所。元和元(1615)年に則定役所鈴木重次の四男重之が渡合・摺・川端・山ノ中立(いずれも足助地区)・小沢村(旭地区)に200石の知行を得た。享保4(1719)年3代直峯のときに川端・山ノ中立村が没収となった。鈴木家は重之以後9代続き、明治維新を迎え、知行所は重原藩領と伊那県管轄となった。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻50ページ
渡合役所
(どあいやくしょ)
【近世】
旗本鈴木家が知行所支配のために渡合村(足助地区)においた役所。元和元(1615)年に則定役所鈴木重次の四男重之が渡合・摺・川端・山ノ中立(いずれも足助地区)・小沢村(旭地区)に200石の知行を得た。享保4(1719)年3代直峯のときに川端・山ノ中立村が没収となった。鈴木家は重之以後9代続き、明治維新を迎え、知行所は重原藩領と伊那県管轄となった。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻50ページ