(どうぞく)
【民俗】〈社会生活〉
同族集団は基本的には出自を同じくする本分家(ホンヤ・シンヤ)関係の家々で構成されるが、有力者の家の作男や奉公人などが分家となり、同族の一員に組み込まれる場合もあった。同族呼称にはカモン、イッパ、マキ、イットウがあり、カモン、イッパは市域山間部、イットウは山間部から市域平野部で使用されている。マキは乙部(猿投地区)に限定される同姓集団である。同族呼称がないところや同族意識が希薄なところもある。同族集団はムラ、ムラ組、組の中にいくつか混在していることが多い。系譜関係が不明確になると分派される傾向があり、同族意識が希薄な場合などと同様、付き合いは直接の本分家関係に限定されていく。本分家関係では、山間部では分家が本家を上位に立てる傾向が強いが、平野部ではほとんど対等な関係であった。同族の付き合いは親戚付き合いに準じて広く行われていた。山間部では特に結婚に際してオキモリオヤという仲人親をホンヤ・シンヤに依頼したり、婚礼に同族を招いたり、葬式のトリモチにホンヤが采配を振るうこともあった。市場(小原地区)では遠くの親戚よりも同族が強いといい、冠婚葬祭などのほか、屋根葺きなどでも3日がかりで奉仕をしたという。同族の固有機能に同族祭祀があり、先祖祭祀と同族神祭祀の二つに分けられる。先祖祭祀は、山間部では同族一同が先祖代々の墓、先祖の石塔、廻り番の宿の仏壇などの前で、住職を招いて供養をする。平野部では在家の報恩講であるオトリコシが行われ、檀家の住職を招き、同族全員が住職に従って各家を廻り、1日がかりでお勤めをする。同族神には、同族の氏神を祀るところと、山の神やオシャグジなどの小祠を祀るところがあった。多くの同族集団が同宗旨、同檀那寺であったが、中には宗派や檀那寺を異にすることもあった。よそから開拓に入った市域平野部のイットウの場合、檀那寺が出身地の寺院と新たに開拓地に創建された寺院の二つに分かれる事例がある。〈社会生活〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻555ページ、16巻506ページ