(とうめいこうそくどうろ)
【現代】
国家的プロジェクトとして昭和37(1962)年に着工し、昭和45年5月に東京~小牧間346.7kmの全線が開通した高速道路。その前年の昭和43年4月25日、岡崎~豊田~小牧間が開通し、豊田市内に豊田インターチェンジと上郷サービスエリアがオープンした。豊田インターチェンジでは、25日午前零時、出入口の第1号車に、佐藤保豊田市長から記念品や花束が渡され、開通を祝った(写真)。近世以降東西を結ぶ幹線交通路から置き去りにされてきた豊田市が、初めて東西を結ぶ幹線道路の沿線に位置した瞬間だった。これにより豊田~名古屋間はわずか10分、大阪まで3時間で結ばれることになった。豊田インターチェンジは、トヨタ自動車工業株式会社(トヨタ自工)元町工場の至近距離にあり、豊田市にとっては市民の足の確保というよりも、産業発展にかけられる期待が大きかった。開通後の豊田インターチェンジの利用は予測を大きく上回った。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻171ページ、14巻97ページ