都市と農村の交流

 

(としとのうそんのこうりゅう)

【現代】

都市と農山漁村の人々が互いの地域の魅力を「人・もの・情報」の行き来により分かち、理解を深める取り組みを指す。昭和62(1987)年の第4次全国総合開発計画で言及され、平成4(1992)年の「新しい食料・農業・農村の政策方向」でグリーン・ツーリズムの振興と、都市と農村の相互理解・連携強化が謳われて進展し、平成11年の食料・農業・農村基本法で、農村の振興策の一つとして位置付けられた。その形態は、農業や食の体験イベント、市民農園や農業体験農園、農産物直売所、観光農園、農家レストラン、農家民宿、学校での農業体験学習や体験型修学旅行、都市住民等による援農ボランティア等のほか、週末の田舎暮らしやセカンドハウス、農山村への移住等とさまざまである。都市住民は、郷土食や伝統文化、棚田や里山の景観や暮らし等のさまざまな点から農村の魅力を再発見し、楽しむようになったことがわかる。豊田市の平地農村では、名古屋市の生協との産直取引や同組合員との農業体験交流等が昭和50・60年代からみられ、市内学校の農業体験学習も稲作体験を中心に行われて、小中学生の半数以上が農作業を経験し、学校給食での地元農産物利用(「地産地食」)が進展した。都市化の中で、市民農園は昭和40年代後半から不耕作農地を利用して整備され始め、地域の住民が土とふれあい、自ら農産物を生産して楽しむ場をもたらした。平成期には、地域農業の担い手創出や高齢者や定年を迎えた者の生きがい対策として農業塾、農ライフ創生センターが整備され、その修了生による農産物生産と直売が進展した。なお、農産物直売所は、昭和40年代半ばからグリーンセンターに開設され、地域住民に地元農産物を提供してきた。他方で、地元若手農家集団による農の発信等の動きも平成期に強まり、農家サイドからも都市住民との交流が積極的に行われている。一方、豊田市の山間部では、人口減少が進んでいた頃から過疎化の進行を抑えるために都市部の住民に山間地域に関心を持ってもらい、交流によって地域の活性化を図ろうとする取り組みが見られた。昭和41年に稲武地区に開設された名古屋市稲武野外教育センターの利用者が50万人に達したことを記念して昭和59年6月に稲武町(当時)と名古屋市で「ふるさと協定」が締結され、稲武地区では名古屋市民と交流するイベントが継続的に行われている。また、山村の役割を知ってもらうことや地元の農林産物を展示、販売して、都市と農山村の交流を通じて山村の活性化を図ることを目的に、名古屋市内の百貨店で「あいちの山村展」が昭和54年から平成10年まで開催され、豊田市農山村地域の各旧町村が出展していた。市町村合併後、平成20年12月にとよた都市農山村交流ネットワークが設立され、小中学生を対象とした農山村体験(セカンドスクール)、企業や団体等による山里での研修、都市住民向けの山里学校(講座)等が実施された。現在は、これらの事業はおいでん・さんそんセンター(平成25年8月設立)に引き継がれている。

『新修豊田市史』関係箇所:5巻247・433・564・581・590・719・727・731ページ、14巻620ページ

→ おいでん・さんそんセンター市民農園「地産地食」ふるさと協定