土地改良区

 

(とちかいりょうく)

【現代】

昭和24(1949)年制定の土地改良法に基づき、ほ場や農道、農業水利施設の整備、さらに区画整理等の土地改良事業を行い、それら土地改良施設の維持管理も担う、地域の農業者による農業団体のことであり、愛称は水土里みどりネット。第二次世界大戦前の耕地整理組合、普通水利組合等からの転換のほか、ほ場整備事業等の進展に伴って各地で設立された。平成11(1999)年の食料・農業・農村基本法制定以降、土地改良にも環境との調和が求められ、土地改良区は地域・国民に水路の役割をアピールし、都市と農村の交流を促しながら、循環型社会の構築に取り組むようになった。他方、土地改良区は、農家の離農・高齢化による組合員の減少や土地持ち非農家の増加、さらに農地の流動化による土地改良事業の投資者(農地所有者)と使用者(耕作者)の乖離という問題を抱えるようになった。豊田市では、枝下用水土地改良区(昭和43年に明治用水土地改良区より分離独立、現豊田土地改良区、写真)や猿投土地改良区(昭和41年設立)のように、農業水利施設の維持管理やほ場整備事業を契機に土地改良区が設立された。しかし、挙母揚水土地改良区(昭和33年設立)のように、地区がトヨタ自動車元町工場等の進出によって市街地化されて解散(昭和56年6月)したものもある。旧豊田市の11土地改良区(上郷用悪水・広美・豊田西部・高岡・逢妻・猿投・枝下用水・高橋・豊田北部・松平・豊田南部)は、平成18年4月に合併して、豊田土地改良区を設立した。平成30年現在、豊田市では、豊田・旭・下山・藤岡の4土地改良区と矢作北部土地改良区連合がみられる。ただ、農業生産組織や農業法人等への農地の利用集積から、豊田市でも賦課金支払者(土地所有者)と受益者の乖離等の問題が生じている。他方で、平成6年7月に、枝下用水土地改良区が豊田市矢作川研究所設立に加わったように、地域環境の保全等への取組もなされてきた。


『新修豊田市史』関係箇所:5巻241・435・556・726ページ

→ 都市と農村の交流豊田市矢作川研究所