殿貝津役所 

 

(とのがいとやくしょ)

【近世】

旗本内藤家が知行所支配のために殿貝津村(保見地区)においた役所。延宝元(1673)年に志摩国鳥羽藩主内藤忠政三男の忠知が宮口役所の叔父忠広より志摩国内で2000石を分与され、延宝8年鳥羽藩主内藤家が除封となったため、三河国殿貝津・伊保堂・下伊保(いずれも保見地区)・北莇生村(みよし市)に知行替えとなった。寛政12(1800)年には、足助の宇井家・小出家に5か年の勝手方世話を依頼している。内藤家は忠知以後知行所を変えることなく6代続き、明治維新を迎え、知行所は伊那県管轄となった。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻50・497ページ

→ 宮口役所