巴川漁業組合

 

(ともえがわぎょぎょうくみあい)

【近代】

昭和元(1926)年1月、足助町・盛岡村・松平村・賀茂村(一部)を加入地区として巴川漁業組合が設立された。加入地区は昭和10年5月には下山村が加わり、巴川流域全体を含む組織となった。組合員数は当初の720人から1074人へと増加した。昭和3年度からは稚鮎の放流事業や魚類の共同出荷事業にも取り組むようになり、他方で漁業法令の遵守、魚類ごとの漁期間、漁法、資源保護などを取り決めた。さらに9年4月には組合は鮎の解禁と漁の期間、漁法、網、幼魚の保護といった内容の申し合わせを行った。10年8月組合は農林省に専用漁業免許願を提出した。この願書では、乱獲、矢作川筋でのダム建設、砂利採取、化学工場の廃液なども影響して、鮎の遡上が減少していることを危惧していた。組合では県水産試験場の指導の下で、琵琶湖産の稚鮎放流、コイ・ウナギの放流、マスの人工孵化・放流を実施する計画であった。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻588ページ、12巻131ページ

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