豊田英二  1913~2013

 

(とよだえいじ)

【現代】

豊田市名誉市民。トヨタ自動車株式会社(トヨタ自動車)最高顧問。大正2(1913)年9月12日、愛知県西春日井郡金城村大字上名古屋梅林(名古屋市西区堀端町)に豊田佐吉の弟平吉の次男として出生した。愛知県第一中学校(愛知一中)から第八高等学校(八高)を経て、昭和8(1933)年4月、東京帝国大学工学部機械工学科に入学、同11年3月に卒業後、豊田自動織機製作所へ入社し、翌年8月のトヨタ自動車工業株式会社(トヨタ自工)の設立に伴って同社に転籍した。昭和14年10月に高橋寿子と結婚。昭和20年5月に取締役に就任後、常務取締役(昭和25年7月)、専務取締役(昭和28年7月)を務め、その間に当時の社長石田退三に乗用車専門工場の建設を進言、昭和34年8月に新工場である元町工場が稼働を開始した。昭和35年2月に取締役副社長に就いた後、昭和42年10月30日に54歳で取締役社長に就任、社長在任中の昭和47年5月から日本自動車工業会会長を務め、当時懸案となっていた排ガス規制問題に関わって、全自動車メーカーが排ガス規制値をパスできるように業界の代表として取り組んだ。昭和57年7月1日にはトヨタ自工とトヨタ自動車販売株式会社(トヨタ自販)との合併(工販合併)が実現し、トヨタ自動車が誕生、それに伴って取締役会長に就任した。昭和58年2月には社長時代に交渉を始めたアメリカでの自動車の合弁生産について、ゼネラルモーターズ(GM)との間で合意に達し、同年12月にトヨタ・GM合弁会社NUMMIが生産を開始している。平成6(1994)年9月に名誉会長に就任、同11年6月、86歳のときに最高顧問となり、同12年3月には妻・寿子とともに豊田市名誉市民に推挙された。同25年9月17日心不全により療養先のトヨタ記念病院で死去。享年100。翌年3月に遺族から市に10億円が寄付され、平成29年9月、この資金をもとに、製造業の技術者による試作品づくりや新事業の研究を可能とする「ものづくり創造拠点 SENTAN(センタン)」が挙母町(挙母地区)に完成した。写真はトヨタ自動車株式会社提供。


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