(とよたおおはし)
【現代】
豊田市は、中心地域が矢作川によって東西に分断されているため、戦後、いくつかの橋の改築・架けかえ、新しい橋の架橋などが行われてきたが、朝夕の通勤時間帯には矢作川に架かる橋のところで渋滞が発生してきた。そのため、久澄橋と高橋の間に、中心市街地と高橋地区南部の住宅地とを結ぶ新しい橋の架橋をすることになった。豊田大橋は、黒川紀章の設計で平成4(1992)年から約7年をかけて工事を進めてきたが、平成11年3月に完成した。橋の名前は公募で決められた。全長474.5m、幅員20.8~33.3m、歩道も広く、単に川を渡るだけでなく、両岸の橋脚から白浜公園と千石公園に降りることができたり、橋の中央部橋脚を広くデッキ状にして水面観察ができたりするなど、川と公園が一体的に楽しめるよう、さまざまな工夫をしており、豊田市のシンボルの一つとなっている。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻529・531ページ