(とよたかもこういきしちょうそんけいかく)
【現代】
豊田加茂広域市町村圏は、昭和47(1972)年に設定され、8月に豊田加茂広域市町村協議会が発足した。その構成は、豊田市、三好町、藤岡村、小原村、足助町、下山村、旭町の7市町村だった。協議会は昭和48年3月、広域市町村計画を策定した。この協議会が計画する広域事業を実施するため、昭和48年に一部事務組合として豊田加茂広域市町村事務処理組合が設立され、最初に広域移動図書館の事業を開始した。昭和46年当時、豊田加茂広域市町村圏域内におけるし尿処理施設は、豊田市の志賀処理場と前林処理場(豊田市と知立市の一部事務組合)のみだった。他の町村には処理施設はなく、肥料とするなどの自家処理と業者へのくみ取りを委託して海洋投棄により処理されており、町村においては緊急課題となっていた。このような中で、豊田加茂広域市町村圏事務処理組合は、三好町(現みよし市)の三好丘旭に建設地を定め、昭和50年7月本体工事に着手、昭和51年11月、当時として最高機能を有する施設を完成した。平成2(1990)年、生活水準の向上に伴い浄化槽設置家庭が増加し、浄化槽汚泥の搬入比率が高まったこと、施設の老朽化への対処のために新施設への更新を行うことが決定された。平成7年9月、既存施設の隣に新しい砂川衛生プラントが完成した(写真)。昭和47年当時、広域市町村圏内のごみ焼却場は志賀焼却場、渡刈清掃工場、足助町焼却場の3か所だけだった。他の町村は、自家焼却などの自家処理によっていた。生活水準の向上とともにごみは多様化、大量化をもたらし、広域共同処理が議論されるに至った。昭和51年、建設地を藤岡村下川口地内に決定し、昭和54年3月に全連続燃焼方式で150t/24時間のごみ焼却工場が完成した。藤岡プラントである。不燃物処分についても広域市町村圏で対応することになった。昭和58年、建設地を豊田市勘八峡地内として翌年工事着手、昭和60年に侵出水処理施設を備えた勘八不燃物処分場が完成した。平成4年には、この施設の隣に新たな処分場が増設された。勘八不燃物埋立処分場の残容量の減少に伴い、新たな不燃物処理場の検討に入り、藤岡町の藤井鉱業株式会社の鉱山跡地を候補地として、地元了解、環境影響評価などの手続きを終えて平成15年から建設工事に着手、平成18年に供用を開始した。この施設はグリーン・クリーンふじの丘と名付けられた。埋立容量30万m2で、埋立期間は50年とされている。また、平成6年9月には、地方拠点都市地域の指定を受け、組合は豊田加茂地方拠点都市地域の整備方針である基本計画を策定し、平成7年に承認を受けた。なお、稲武町は、平成13年度から正式に豊田加茂広域市町村圏に加入することになった。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻163・178・374・518ページ