豊田市駅西再開発

 

(とよたしえきにしさいかいはつ)

【現代】

名鉄豊田市駅西側の地区は、中央部を愛知環状鉄道が通り、名鉄三河線と平行に国道155号が、また東西に国道153号が通っている。この地区は年々増加する住宅建設に伴い、このまま放置すれば乱雑不統制な市街地となるおそれがあるため、昭和44(1969)年3月から豊田市施行の駅西地区土地区画整理事業が開始された。施行地区面積85.5ha、道路、水路、公園、駅前広場などを整備して、昭和60年10月に換地処分が行われた。豊田市は、昭和58年4月に豊田市駅周辺35haを豊田市の都心地域と位置付け、集中的に整備するために市役所に都心整備対策室を設置した。同年6月には、財団法人豊田市都心整備公社が、公共と民間がそれぞれに持つエネルギーを都心整備へ効果的に導入し、事業の円滑な実施を図るための調整役を果たす目的で豊田市や民間諸団体等の出資により設立された。設立当初の事業は、企画調査や住民の意識啓発、民間事業の調査研究への指導助言などであったが、平成7年度からは駐車場経営を開始、平成11(1999)年から活動区域を中心市街地から既成の市街地全体に拡大、名称を財団法人豊田市都市整備公社に変更した。さらに同年9月には、都心整備に必要な用地の先行取得のため、また都心整備事業の費用にも充てられるなどの目的のために、都心整備基金を設置した。この3つの体制が整ったことで、都心整備が強力に推進されることになった。昭和60年、豊田市都心総合整備基本計画と中心市街地交通基本計画が策定された。以後の事業はこの計画に基づいて実施された。豊田市駅西口再開発事業は昭和60年に都市計画決定、豊田市駅西口地区市街地再開発組合により事業費182億円をかけて63年に事業が完了した。これにより再開発ビル2棟が建設された。A館は延べ4万3467m2、地下1階、地上9階、B館は延べ2万2607m2、地下1階、地上11階、A館には全館豊田そごう百貨店が入り、B館は専門店街T-FACEが入居した。昭和63年度に、愛知環状鉄道新豊田駅と名鉄豊田市駅を、歩車を分離して有機的に結びつけるためにペデストリアンデッキが建設された。総事業費23億2000万円、延長226m、幅は9.5~32m、5か所の全天候型エスカレーター、歩廊シェルター450mなどが整備され、快適な歩行空間が完成した。平成12年12月25日豊田そごうが閉店した。これは豊田市に衝撃を与え、中心市街地は活気を失い、人通りは激減するなど、状況は深刻化した。豊田市は豊田市中心市街地緊急活性化計画をまとめ、豊田そごうの後継テナントの誘致と中心市街地の求心力を回復させるなどの緊急対策事業を展開することになった。結果、後継テナントとして松坂屋を誘致することができ、平成13年10月25日に開店した。しかし、令和3(2021)年9月30日に閉店した。


『新修豊田市史』関係箇所:5巻175・369・522ページ

→ 豊田そごう