(とよたしえきひがしさいかいはつ)
【現代】
挙母駅には駅前広場もなく、駅周辺には「挙母マーケット」や「銀座商店街」などの小規模な商店が立ち並んでいるだけで、大型店はほとんどなく、商店街としての魅力に乏しかった。このため、昭和31(1956)年10月から挙母駅前地区土地区画整理事業が開始された。施行面積2.2ha、総事業費1555万円、建物移転16戸で、駅前広場(2882m2)と15mの駅前道路が整備された。事業完了は昭和36年。この間、昭和34年10月1日に、挙母駅は豊田市駅と改称された。昭和40年代に入ると、駅前商店街にほていや、第二ほていや、松坂屋豊田タウン、長崎屋などの「外資」大型店舗が立地し、地元商店は、再開発への期待と不安を高めていくことになるが、再開発の実施は昭和60年代まで待たなければならなかった。昭和63年4月、若宮・西町緑陰歩道、同年9月若宮駐車場、平成2年3月桜城址公園、平成6年桜町ポケット広場などが完成し、次々と都心整備事業が展開されていった。昭和61年から豊田市駅東地区再開発事業が進められてきたが、平成7(1995)年4月には再開発ビルギャザが完成した。地下1階、地上12階のビルには店舗(サティ)、ホテル(名鉄トヨタホテル)、業務、住宅(47戸)、駐車場が入り、延べ床面積6万3300m2、総事業費264億円を要した。これに合わせてペデストリアンデッキが整備された。豊田市民センター地区第一種市街地再開発事業は平成4年から着手されていたが、平成10年に再開発ビル「豊田参合館」が完成した。地下2階、地上13階、延べ床面積45461m2、店舗、銀行などの商業業務施設などとともに図書館、能楽堂、コンサートホールが入り、その外観は豊田市駅前のシンボルとなった。平成11年にはペデストリアンデッキ(第2期)が整備された。駅前通り南地区市街地再開発事業を通じて、平成12年5月にまちづくり協議会が(面積1.6ha)、平成15年3月には豊田市駅前通り南地区再開発組合が設立された。ウエストとイーストの2つのビルからなり、ウエストには駐車場、ホテル(ホテルトヨタキャッスル)、商業施設、事務所、スポーツ施設が、イーストには駐車場、商業施設と住宅施設が入居している。街区の愛称をコモ・スクエアとし、平成18年11月にウエストがオープン、平成19年4月にグランドオープンした。最後に残った駅前通り北地区は、平成25年8月に豊田市駅前通り北地区市街地再開発組合が設立され、施行地区面積1.6ha、商業・業務棟(地上8階、地下2階)、高齢者施設棟(地上8階、地下2階)、住宅棟(地上26階、地下2階)の3棟が建設された。街区の愛称は「キタラ」に決定され、平成29年11月25日にオープンした。こうして昭和60年頃から開始された都心の市街地再開発事業は、30年余りの歳月を費やして施設的には1つの段階を終えることになった。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻22・176・370・521・661ページ