豊田市のガラ紡遺構群

 

(とよたしのガラぼういこうぐん)

【建築】

矢作川の支流、郡界川や滝川の谷あいには明治・大正・戦前にかけて、谷川の流れを利用して水車を動力源としたガラ紡工場が散在していた。ガラ紡とは臥雲辰致が明治6(1873)年に発明した紡織機で、そのガラガラという運転音から呼んでいる。特に三河地方・矢作川流域は、昭和30年代では1217工場で、総設備錘数160万錘のガラ紡績機が稼動していた。群界川や滝川沿岸の松平地区では、大正期には5kmの間に31の水車があり、最盛期の昭和31(1956)年では工場数400戸以上、従業員1200人以上であったという。ガラ紡工場の多くは、川に沿って横長に配置されている。水車を動力源とするため、川に堰堤を造り、工場の背面に水路を敷設して水車を廻す。建物は木造平屋建て、切妻屋根、桟瓦葺、土塗り壁で造られている。ガラ紡績の作業工程は、工場内ですべての作業工程が行われる一貫工場で、工場の大きさはどれも、それらの設備の大きさと規模に合わせて造られている。ガラ紡織機の大きさが、1間64錘を単位として表し、8間を標準としていたため、多くの工場は、間口11間、奥行4間、架構は工場内に柱を立てない、洋小屋(トラス構造)を採用している。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻512ページ

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