(とよたしのへいせいがっぺい)
【現代】
政府の「平成の大合併」政策の開始時に取りまとめられた愛知県合併推進要綱(12年12月作成)での豊田市が絡む合併3パターンのうち、豊田加茂広域市町村圏(豊田、三好、藤岡、小原、足助、下山、旭、稲武、人口42万3700人)からなるパターンが合併検討のターゲットとされた。平成13(2001)年4月12日に8市町村長は「豊田加茂広域行政研究会」を設立し、広域行政のあり方を議論しつつ、7月~11月に住民懇談会などを各地で開催した。この時に住民から合併への不安意見も寄せられた。この意見交換会と住民アンケート(9月実施)をもとに、10月28日の第3回研究会にて市町村合併を決断し、任意団体の「豊田加茂八市町村合併研究会」を設置した(11月25日)。研究会は首長、議会議長、住民代表の24人で構成され、専門委員会も置いて合併について本格的に議論した。研究会は「新市将来ビジョン」のほか、「特例法期限内の17年3月末までに合併」、「豊田市への編入合併」、新市の名称「豊田市」、事務所の位置「現豊田市役所」などを定め、都市内分権という概念を取り入れた専門委員会答申も合意した。8市町村は15年5月~6月に各地で住民懇談会を開催し、市町村ごとに「平成15年6月 八市町村における市町村合併に関する住民アンケート」を実施した。この住民アンケートの結果は8市町村で対照的な住民意見がみられ、特に三好町では「単独」が70%に達し三好町は研究会から離脱した。残る7市町村では合併は一定以上の住民の支持を得た。6町村長・議会議長は、豊田市長・議会議長宛に合併推進への要望書を提出したが、豊田市は一時的に態度を保留した。豊田市は市議会での議論、2度の市民アンケート、各種団体との意見交換、パブリックコメント結果などから、10月10日に7市町村による法定協議会への参加を表明した。7市町村議会は10月20日以降に相次いで合併協議会の設置を議決した。7市町村長による確認書(10月31日)を基礎にして、合併協議会は11月4日の第1回協議会から翌年の11月1日第12回協議会まで開催され、同日に協定書の調印式も行われた。合併協議会では、特に「地域自治区の設定、地域会議の制度化、支所の機能、規模、支所長の身分のあり方」「議員の定数特例の適用の仕方」「新市建設計画の作成」について、それぞれ小委員会が設けられて白熱した議論が展開された。約2100の事務事業の調整は基本的には「合併時に豊田市方式に統一」「激変緩和期限(最長5年間)内に豊田市制度を基本に調整」でまとめられた。11月7日に合併議案が7市町村議会で議決された。賛成対反対の票は、それぞれ豊田38対1、藤岡9対6、小原11対0、足助13対2、下山10対1、旭10対1、稲武9対0であった。17年4月1日、豊田市は人口40万7682人、面積918㎢の自然豊かな中核市(10年4月1日指定)へと拡大した。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻642ページ、13巻63ページ