豊田市民芸館(第一民芸館)

 

(とよたしみんげいかん(だいいちみんげいかん))

【建築】

平戸橋町(猿投地区)。豊田市民芸館の第一民芸館は、柳宗悦によって昭和11(1936)年に東京都目黒区駒場に設立された日本民藝館の建物の一部(大広間と館長室)を移築したものである。柳は昭和11年に日本民藝館を自らの設計で建設し、その初代館長に就任した。その後、昭和35年には宗悦の甥である柳悦孝の設計による館長室が、大広間の南側に増築された。昭和56年に大広間と館長室等が撤去されることになり、当時名古屋民藝協会会長であった本多静雄(豊田市名誉市民)がこれを譲り受け、豊田市平戸橋公園内へ移築し、同58年4月開館の豊田市民芸館の第一民芸館として再利用されることになった。第一民芸館は、切妻造、桟瓦葺、平屋建で、屋根中央部に採光用の越屋根を設ける。西を正面とし、正面両脇に桁行実長2間半、梁間2間の翼廊状の収蔵庫と備品庫を増築し、背面中央には鉄筋コンクリート造の展示室も増補している。外壁は腰壁に大谷石を張って、上部は白漆喰の塗籠仕上げとする。正面中央を出入口とし、腰付ガラス戸4本を引違いに入れ、内法上に格子欄間を嵌める。入口奥には御影石敷きの踏込み、その北側に4畳半ほどの事務室が配される。玄関ホールは真壁造、壁はクロス張り、天井は格天井、床には縁甲板を張る。入口両脇の壁には幅1間の窓を設け、室内側に障子2本、外にガラス戸2本を入れ、その外に白く塗った縦格子を嵌める。展示室は間口5間、奥行6間、広さ120畳ほどの広間で、この部屋が日本民藝館の旧大広間を移築したものである。移築前の大広間は間口が6間であったが、再建築の際に間口を1間縮小した。内部は間仕切りの無い大空間で、床は大谷石を敷詰め、壁は大壁のクロス張り仕上げとする。天井は梁間に5本の陸梁を渡し、桁行には4本の格縁を通して格天井を組み、四隅の格縁には細かい格子を入れて小組格天井とする。天井中央の桁行4間、梁間3間部分は、各格間を9分割する格子を入れてすりガラスを嵌め、トップライトとしている。中央に吊られている木製の照明器具も宗悦のデザインによるものである。東面の中央奥に二間四方の「円空仏展示室」は新たに増築された。館長室は桁行2間、梁間2間、入母屋造、桟瓦葺、外壁は下見板張り、床は縁甲板張り、天井は杉柾目板の棹縁天井とする。第一民芸館は、柳が「民藝の美」を目標に、自ら設計を手掛け、照明に至るまで宗悦の創意が表現された建物である。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻478ページ