(とよたしみんのちかい)
【現代】
昭和53(1978)年3月1日、市制施行記念日に5項目からなる豊田市民の誓いが制定された。前年実施の市民アンケート調査では、市民憲章制定希望者は84%にのぼり、名称は市民の誓いを望む声が圧倒的に多かった。こうした事情を受け、豊田市民の誓い制定委員会(会長は区長会長)が組織化され、市民アンケートを繰り返して市民の誓い制定に至ったのである。昭和53年5月には豊田市民の誓い推進協議会が結成された。同協議会はその後自然環境、スポーツ文化、青少年健全育成、相互扶助(福祉)、社会規律(交通安全・防犯・防災など)にわたる推進活動を行い、また市内の個人・自治区・各団体の活動を紹介・表彰したり、機関誌『ふれあい』を発行したりしている。市民の誓いは自治区活動の基本精神とされている。なお平成の合併による新豊田市の誕生のさい文案の再検討がなされたが、特に変更を加えることなく踏襲され、シンボルマークだけが変更された。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻392ページ