(とよたとくべつしえんがっこう)
【現代】
平成3(1991)年8月、豊田市議会に市民から養護学校建設の要望書が出された。当時は、豊田市には重い障がいのある子どもの通える学校がなく、岡崎養護学校(のち岡崎特別支援学校)まで行かなくてはならなかった。岡崎養護学校への通学が難しい場合は、三好養護学校(のち三好特別支援学校)の訪問教育を受けるという状況であった。そのため、義務教育の9年間の子どもと保護者の負担を考え、市内に身体的に重い障がいのある子どもが通える学校を開校してほしい、という要望であった。養護学校の設置は本来都道府県が行うものであるため、この要望書を受けた豊田市は建設に向けて愛知県に要望を伝え、愛知県と十分に協議を重ねた。しかし、愛知県からの結論は良いものとは言えず、豊田市が単独で建設するに至った。豊田市は従来から障がい者教育を重視しており、できる限り早い設置を目指して市立養護学校としての建設を決定した。議案書提出から3年という異例の速さで建設が進み、障がいのある子どもをもつ保護者と地域の期待を受けて豊田市立豊田養護学校(現豊田特別支援学校)の名称で開校することになった。平成6(1994)年4月、愛知県内では政令指定都市である名古屋市を除いて、初めて市立の養護学校が開校した。児童生徒の受け入れ地域として「豊田市と東・西加茂郡に居住する身体に障がいがある者」とした。初年度は小学部1~6年生33人、中学部1~3年21人、高校部1年生18人の計72人の児童生徒、34学級で始まった。新設された学校のため、その設備は他の養護学校のノウハウや改善点を踏まえ、大型エレベーターの設置をはじめ、スロープは幅が広く緩やかな勾配、特に、全国でも初となる室内温水プールは冷暖房完備で、体温調整のできない児童生徒に配慮した造りとなった。また、教室やアリーナと呼ばれる体育館等、館内すべてに冷暖房を完備するなど、設備面において充実した学校となった。通学用のスクールバスは車椅子のまま乗車可能にしたリフトの設置とともに、校内のバス乗降場においても乗降がスムーズに行われるようプラットホームが作られ、世界的にも革新的な構造となった。開校から数年間は国内各地だけでなく海外からも見学者が訪れた。児童生徒の自立をめざし、一人一人の障がいにそった教育を展開している。また、開かれた学校をめざし、近隣の小中学校、高等学校と交流し、生活体験を広げ社会性をはぐくむ機会としている。その他に地域交流として、居住地校交流や地域交流も進めている。豊田特別支援学校では、豊田市における特別支援教育のセンター的機能を果たすため、平成17年に校内に地域支援部(平成21年から教育支援部と改称)を組織した。豊田市青少年相談センター、豊田市子ども発達センター等の関係機関と連携を深め、豊田市の障がいのある子どもや保護者、学校関係者などの相談を受けるほか、小中学校への巡回相談を実施している。また、小中学校の教員を対象とする特別支援教育に関する研修会で講師を務めるなど豊田市の特別支援教育において大きな役割を担っている。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻628ページ