(とよたにしこうとうがっこう)
【現代】
小坂町(挙母地区)にある愛知県立の高等学校。昭和15(1940)年、その前身となる愛知県立挙母中学校が愛知県西加茂郡挙母町立青年学校の木造校舎を間借りして開校した。昭和23年4月、学制改革により旧制中学から新制高等学校となり、愛知県立挙母西高等学校と改称された。しかし、半年にして愛知県の学校再配置によって挙母・西加茂地方の高校を合わせて単一校とすることになり、県立挙母西高等学校(西校舎)、挙母東高等学校(東校舎)、猿投農林高等学校(猿投校舎)を統合して、10月に県立加茂高等学校となった。挙母分校(西校舎・東校舎)・猿投分校を設置し、本部を挙母分校東校舎に設置した。昭和25年4月には、猿投農林高等学校が独立し、加茂高等学校は県立挙母高等学校と改称した。昭和28年11月になって挙母高等学校は教育施設の関係を理由として西校舎は従来通り男女共学制だが、東校舎は女子だけという公立高等学校としては初めて男女別学制となった。昭和34年には挙母高等学校は東西校舎を分離し、豊田西高等学校と豊田東高等学校に改称された(この年1月、市名が挙母市から豊田市に変更された)。豊田西高等学校には普通科と商業科が設置されたが、昭和39年4月、商業科を廃止し普通科のみとなるとともに定時制課程普通科(夜間)を併設した。昭和63年には、愛知県の高等学校入学者選抜制度の改革により、複合選抜方式による入学者の選抜が実施された。その制度で豊田西高等学校は三河学区1群Bグループに入った。平成2(1990)年1月に校訓碑「躬行実践」を建立され、11月には創立50周年記念式典が挙行された。進学実績は難関大学への合格者も多く、進学率も高い。平成25年に文部科学省からスーパーハイエンススクールの指定を受け、「産学公との連携」をテーマに、ものづくりや自然保護活動など、幅広い活動に取り組んでいる。また、部活動も各部が優秀な成績を収め、平成10年3月には、第70回記念選抜高校野球大会に出場し、その大会で応援部門最優秀賞を受賞した。通称は”西高”(にしこう)、”豊西”(とよにし)。三河学区に属し、主に豊田市とみよし市、岡崎市に住む生徒が多い。また尾張学区の日進市、東郷町からの進学も可能である。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻129・499ページ、14巻383ページ