(ないすいめんようしょくぎょう)
【現代】
河川、湖沼、養殖池などの内水面で行われる養殖業であり、食用魚と観賞魚の養殖に大別される。山間地域では近代以前から養鯉が行われ、コイは川魚などとともに貴重な動物性蛋白源であった。市域の経営体数は現代を通じて多くないが、『漁業センサス』によるとピークにあたる昭和48(1973)年には65経営体を数えた。養殖魚種をみると、町村部は食用魚が中心であり、市域では観賞魚を主体に食用魚も養殖された。町村部では足助町と下山村が内水面養殖業の中心であり、主に山間地営農等振興事業などの財政的支援を受けて展開してきた。観光施設である足助町御内のニジマス養殖場は、同事業の補助を受けて設置されたものである。また足助町は昭和45年度に農林省(現農林水産省)より自然休養村の指定を受けるとともに、昭和47年度から実施された第2次農業構造改善事業の補助を受け、椿立と大多賀(足助地区)にアマゴ、マス、コイの養殖場が建設され、都市住民にレクリエーション空間を提供した。同時期は米の生産調整である減反政策が行われた時期にあたり、水田が養魚池に転換されたケースもみられた。その一部を利用し、旧豊田市内や稲武町では観賞魚であるニシキゴイの養殖が行われ、日本人の庭(池)付き一戸建てへの憧れや、その容姿を競い合うコンペティションが開催されたこともその拡大に一役買った。『漁業センサス』によると昭和48年に旧豊田市内でニシキゴイを養殖した経営体は40を数え、同時期には碧南市や岡崎市などの西三河の平野部でもニシキゴイ養殖が行われ、南部の碧南市方面から岡崎市や旧豊田市へ広まったことが考えられる。しかし、『漁業センサス』によると昭和53年には旧豊田市で23経営体にまで落ち込み、ニシキゴイブームは長続きしなかった。それに続く昭和50年代後半には、旧豊田市と藤岡町では食用魚であるティラピア養殖の導入が試みられたこともあったが短期間で終焉を迎えた。平成30(2018)年現在、『漁業センサス』によると豊田市で内水面養殖業を営む経営体は8経営体である。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻277・511ページ、4号134ページ
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