内藤文成  1855~1901

 

(ないとうふみなり)

【近世】

挙母藩内藤家最後の藩主。挙母藩内藤家6代藩主内藤政文長男。母は内藤政乂養女お千代方。安政2(1855)年に江戸上屋敷で生まれ、安政5年に4歳で、死去した父の跡を継ぐ。その後、幼少のため江戸上屋敷で暮らす。慶応4(1868)年、維新政府から恭順を求められると、これを受け入れ、同年2月に挙母へ引き上げる。5月、静岡藩立藩に伴い遠江国に持っていた知行4300石余りが上知となり、12月に美作国で代地を下賜されている。7月、文成は上京して8月に明治天皇に拝謁し、12月に従五位下丹波守に叙任されている。明治2(1869)年6月、版籍奉還実施に伴い挙母藩知事に就任。明治4年7月に廃藩置県に伴い知藩事を免じられる。明治7年、当主の座を養子の政共に譲り隠居。明治34年に死去。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻80・739ページ

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