(なかがわらいせき)
【考古】
松平地区の坂上町に所在し、巴川の支流仁王川流域の段丘緩斜面上の標高約263mの地点に立地する縄文時代を中心とする遺跡。ほ場整備中に発見され、平成9(1997)年に行われた市教育委員会の発掘調査(約660m2)では、縄文時代の配石遺構と弥生時代前期の土器棺墓が検出されている。前者では東西25m・南北18mの範囲に礫群が分布し、径7mと10mの二重の環状配石群や配石土坑が確認され、後期前葉~中頃を中心とする遺構と考えられている。土偶や土製耳飾、石刀、多量の焼骨片が出土しており、葬送・祭祀に関連する遺跡とみられる。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻95・102・126ページ、18巻214ページ