中国谷役所

 

(なかくにややくしょ)

【近世】

旗本梶家が知行所支配のために中国谷村(足助地区)においた役所。梶家は足助荘に居住していたとされる家で、慶長7(1602)年に重弘が中国谷・綾渡・大野・栃本・中山・御内蔵連・山中村(いずれも足助地区)に600石の知行を得た。重弘は寛永2(1625)年まで知行し、その後、幕領となり、役所は廃止された。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻50ページ