(ながねやま)
【近世】
上野上村・上野下村・粟寺村・馬場村・国江村・大林村の入会山。享保10(1725)年阿弥陀堂村と上野5か村との境争論が起こった時、上野5か村は山年貢を納めてきたとその所属を主張した。阿弥陀堂村はその後入会に加わったようであるが、明和元(1764)年村中困窮により入会からはずれた。また山へ入る道について安政7(1860)年国江村と上野上村の間で争論が起こっており、道の修繕や橋についてあらためて申し合わせた。道巾が6尺(約1.8m)であったことがこの申合せの中に記されている。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻251ページ