中村寿一  1892~1956

 

(なかむらじゅいち)

【近代】

挙母町長、挙母市長。八名郡下条村出身。明治39(1906)年に尋常高等小学校卒業後、豊橋市で蚕種製造を手伝う。蚕種試験場で学び、養蚕教師として巡回指導。明治45年に第15師団に入隊し、大正2(1913)年、除隊と同時に愛知県巡査となり、弥富、田口、挙母の各警察署長などを歴任。昭和4(1929)年から21年まで挙母町長。昭和13年から21年にかけては県会議員も務める。挙母農業公民学校や県立挙母中学校の開設など教育の充実に努めたほか、昭和8年に豊田喜一郎からの工場用地あっせん依頼を受けて、9年に工場誘致委員会を組織。昭和10年に用地買収を完遂し、トヨタ自動車工業の挙母進出を実現させた。トヨタ自工の進出に関連して都市計画にも着手し、昭和13年に都市計画事務所を発足させた。敗戦後、昭和22年に公職追放。のちファーストタクシー社長、挙母商工会議所副会頭(昭和27年)を経て、同30年に第2代挙母市長に就任。庁内機構改革などを進めたものの、在任中に死去。昭和31年、従六位勲五等瑞宝章受章。昭和36年、豊田市名誉市民。


『新修豊田市史』関係箇所:4巻651・666ページ

→ 豊田喜一郎トヨタ自動車