仲人       

 

(なこうど)

【民俗】〈人の一生〉

仲人には結婚の仲介者としての役割のほか、新夫婦の後見者としての役割があり、2つを1人(1組)が合わせ持つこともあれば別の人が引き受けることもある。また、仲人を婿方からのみ立てる片仲人と、双方から立てる両仲人があり、市域は後者のしきたりである。仲介者的仲人のことをオタイコ、タイコタタキ、ハシカケと呼んだ。世話好きでセケンの広い人であり、博労や行商の人などが務めることもあった。頼んでおけば家柄、財産、土地などの釣り合いを考えてふさわしい相手を見つけてくれ、話がまとまればお礼をしたほか、婚礼にも招いた。市域では、仲介者的仲人によって結婚話が進められた場合でも、それとは別に後見者的な仲人を婿方嫁方双方から立てるのが普通であった。こうした仲人を山間部ではオキモリと呼ぶことが多く、カモンやイットウなどのホンヤシンヤ関係の家同士で、何代にも渡って仲人を引き受け合う関係ができていた。オキモリ自ら相手を探すこともあり、結納から婚礼までの一切を取り仕切った。婚礼の際、婿方のオキモリ夫人はツレ女となり、花嫁の面倒をみたが、その後も「オキモリは親代わり」とされ、嫁いだ嫁の相談役として心強い存在であった。場合によってはオキモリ夫人が子どものトリアゲ親にもなった。オキモリとは一生親戚付き合いを続け、もめ事が起きた時は「オキモリの方が話がまとまる。親や本人は出てこない」とされ、両家を代表してオキモリ同士が話をした。そして離婚ともなれば、それぞれのオキモリが婿方嫁方の味方になって別れ話をまとめた。平野部では後見者的仲人をオチュウニンと呼ぶことが多く、2親等、3親等の兄弟、オジ・オバを親戚代表として依頼した。やはり両家を代表して結婚話をまとめ、結婚後のもめ事の解決にも乗り出した。その場合、片方からだけ仲人を立てたのでは不公平になり、「両家を納得させるため」に両仲人である必要があったとされる。〈人の一生〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻573ページ、16巻526ページ