名古屋海軍航空隊 

 

(なごやかいぐんこうくうたい)

【近代】

伊保原(現浄水町)に基地があった海軍の航空隊。昭和13(1938)年7月、愛知時計電機株式会社は資本金を増資して工場の拡張を行い、その一環として伊保原を試験飛行場敷地として買収し、昭和14年4月に開場式が行われた。昭和15年、愛知時計電機の試験飛行は継続したまま、海軍が霞ヶ浦海軍航空隊分遣隊練習飛行場として伊保原を買収し、昭和16年10月霞ヶ浦海軍航空隊名古屋分遣隊を設置、格納庫や滑走路が設けられた。昭和17年4月、同隊は名古屋海軍航空隊として独立、練習航空隊に指定されて陸上機の操縦訓練が行われた。戦局悪化に伴い練度の高い搭乗員の養成がより求められるようになり、名古屋海軍航空隊でも中間練習機ではなく艦上爆撃機による訓練が行われるようになった。昭和20年2月に特別攻撃訓練員養成が命じられると、愛知時計電機製作の九九式艦上爆撃機による急降下突入訓練が行われるようになり、この訓練部隊は「草薙隊」と名付けられた。4月、隊員たちは鹿児島県の国分基地へと進出し、沖縄西側にいたアメリカ艦隊に特攻、未帰還機28機、戦死者56人であった。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻625ページ