(なごやしやがいきょういくセンター)
【現代】
昭和30年代末、自然環境保護、公害対策の気運が高まる中で、名古屋市は子ども達を自然の中で学ばせるため、野外教育センターの建設場所を探していた。昭和39(1964)年、稲武町の関係者がこの話を聞きつけ、誘致運動を開始した。この誘致運動は短期間に実を結び、昭和41年7月には第1キャンプ場、10月には第1本館が完成した。名古屋市は、中津川市にも野外教育センターを開設し、中学生は稲武、小学生は中津川で野外教育を体験することになった。こうして年々稲武と名古屋の縁が深まり、さまざまな交流活動が実施され、昭和59年6月4日には名古屋市と稲武町の間でふるさと協定が、昭和61年10月24日には、名古屋市、中津川市、稲武町によるふれあい協定が締結された。この40数年の間に稲武を体験した中学生の数は100万人を越え、名古屋市民にとって稲武は三河でもっとも知名度の高い地域となった。写真は朝日新聞社提供。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻638ページ
→ ふるさと協定