(なつめだま)
【考古】
扁球形をした玉で、紐を通し連ねて装身具として用いられた。名称は、形状が棗の実を連想させることに由来する。縄文・弥生時代にも棗玉に似た形状の玉がごく少数みられるが、それらは胴部が膨らんだ管玉との見方もある。定形化した棗玉が盛行するのは古墳時代で、多くは古墳の副葬品として出土する。古墳時代前期には、硬玉・碧玉・琥珀製品が多くみられ、後期の6・7世紀代には埋木や水晶・ガラス製品が加わるなど、素材が多様化した。市域ではこれまでのところ、西三河最大級の後期古墳で豊富な玉類が出土した挙母地区の豊田大塚古墳(墳長50m前後の帆立貝式古墳、6世紀前半)から10点出土しているのみである。そのうちの7点は碧玉製、3点は埋木製である。埋木製の棗玉の生産地は房総半島周辺とみられている。さらに朝鮮半島の百済武寧王陵からも多数出土していることから、棗玉は百済との関係が注目される遺物となっている。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻348ページ、19巻560ページ