(ななまがり1ごうよう)
【考古】
市域西部の挙母地区太平町にあり、猿投山西南麓の一小支丘陵の東緩斜面に構築された窯跡である。豊田短期大学建設に伴ない平成3(1991)年に発掘調査が行われ、窖窯の一部(焚口・燃焼室および焼成室、残存長6m・幅1.4m)、前庭部、灰原が検出された。灰釉陶器生産が本格化した黒笹14号窯式期(9世紀第2四半期)の須恵器・灰釉陶器併焼窯で、出土した「調勘」と刻書された須恵器甕は貢納制に関わる資料として注目されている。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻113・154ページ、20巻16ページ
→ 刻書土器