(にしかもぐんりつのうがっこう)
【近代】
明治39(1906)年、西加茂郡猿投村に設置された乙種農業学校。明治32年の実業学校令に基づいて制定された農業学校規程は、農業学校を甲乙の2種に分類していた。甲種は修業年限3年で14歳以上の高等小学校卒業者を対象としたのに対し、乙種は修業年限3年以内で12歳以上の尋常小学校卒業者を対象とするものであった。西加茂郡立農学校は、本科2年と専修科6か月からなり、入学資格は12歳以上の男子で、農業補習学校卒業者または高等小学校第2学年修了者等とされたが、後の規則改正により修業年限は3年、入学資格は尋常小学校卒業者に改められた。同校は当初猿投村花本にあったが、明治42年に高橋村寺部に移転し女子部を設けた(写真:女子室での養蚕)。高橋村では村内の高等小学校を全廃し、尋常小学校卒業生を農学校に入学させた。大正2(1913)年には女子部を西加茂郡立実業女学校に改組した。郡制廃止に伴い、農学校は大正12年度から県移管が決定されたが、実業女学校は廃止となった。農学校は、高橋村から再び猿投村へ移転し、愛知県猿投農学校と改称された。学校敷地の大部分は井上徳三郎の寄贈によった。戦後改革により愛知県立猿投農林高等学校となった。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻426・529ページ