西山孝  1924~2002

 

(にしやまたかし)

【現代】

大正13(1924)年3月21日挙母町(挙母地区)生まれ。挙母町立青年学校で3年間学び、昭和17(1942)年12月に名古屋高等工業学校土木科卒業。22年4月挙母町役場に勤務。都市計画課長などを経て40年4月建設部長、46年4月土木部長、50年4月助役に就任した。51年の市長選に現職の佐藤保市長は健康上の理由で立候補しない意向を固めていた。佐藤は、挙母町立青年学校教諭時代の教え子である西山を後継者として強く推した。西山はこれを受けて立候補、第5代目の市長となり、3期12年市長を務め63年2月に引退した。市長として都心整備、道路網の充実をはじめ都市基盤の整備に貢献し、55年5月の豊田地域医療センター開設や56年7月の市民文化会館オープンに尽力するなど市民生活の向上に力を尽くした。また、中心市街地再開発事業を推進し、60年10月の駅西口再開発ビルの完成に傾注し、都市機能の充実に大きな役割を果たした。平成2(1990)年3月3日名誉市民に推挙。6年勲四等旭日小綬章を受章した。14年7月25日死去。享年77。


『新修豊田市史』関係箇所:5巻173・353・356・382・394・514ページ