(にちえいすいでん)
【近代】
日英水電は浜松から遠州一帯に電灯電力を供給した電力会社であり、電灯数では静岡県では最大規模であった。「日英」というユニークな名前は、大井川で水力開発を目指した日英共同プロジェクト、日英水力電気をルーツとし、その日本側法人が主体となって設立した会社だったことによる。開発が比較的容易な大井川中流部の小山発電所(1400kW、明治45〈1912〉年6月運転開始)の水利権を譲り受けて明治44年2月に設立され、7月に浜松電灯の事業を譲り受けて開業した。浜松地方は、大正期に入ると電力需要が急増し、小山発電所が主体の供給体制では、工業都市浜松の電力需要に追いつかなかった。大正2(1913)年5月、名古屋電灯の巴川筋にある盛岡発電所の全出力750kWを購入する契約を結び、浜松まで68kmの送電線を建設した。この送電線を活かし、大正5年2月に隣接地域の東加茂郡盛岡村に巴川発電所1500kWを、大正9年1月に東加茂郡松平村白瀬地点に白瀬発電所1119kWを建設した。送電線が経由する東加茂郡下山村の道路建設に協力するとともに、発電所が建設される盛岡村の電気利用組合(盛岡信用購買利用組合)に電気を供給し、下山村の大沼電灯にも電力を供給した。また、白瀬発電所に関連して、松平村白瀬地区に電気を直接供給し、松平電気利用組合にも電気を供給した。日英水電は、東加茂郡の山間部の電気供給に大きな役割を果たした。その後、日英水電は、静岡県知事から強く勧められて、大正9年3月に早川電力と合併した。早川電力は大正14年3月に東京電力となり、昭和3(1928)年4月には東京電灯と合併している。
資料提供者「(公財)愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター」
『新修豊田市史』関係箇所:4巻574・691ページ、12巻160ページ