荷継問屋

 

(につぎどんや)

【民俗】〈環境〉

市域を通る塩荷は、伊那街道では足助(足助地区)、秋葉街道(美濃街道)では武節・稲橋(稲武地区)の荷継問屋に運ばれ、ここで荷を改めて信州飯田の塩問屋に届けられた。街道や脇街道の宿場には荷継問屋があったが、在郷町にある商店の多くが元は荷を扱う取次問屋、中継問屋であった。昭和の初め頃まで巴川の九久平土場に荷を上げていた回漕船は、地元の取次問屋と契約していた。問屋が扱っていた船荷はここから駄賃付けの馬や馬車によって足助方面に運ばれていた。第二次世界大戦後トラック時代を迎えると、荷継問屋や取次問屋には運送会社へ転身するものが出てきた。〈環境〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻10ページ