(にほんぼうくうぎゆうひこうたい)
【近代】
衣ケ原飛行場を拠点として、昭和11(1936)年1月に結成された飛行隊。飛行機操縦技術の向上を目的とし、有事の際には陸海軍の次に控える空軍として国家に貢献するものとした。飛行隊設立に関する趣意書には「日本航空義勇隊」という名称がみられるが、定款ではその名称が修正され、日本防空義勇飛行隊が正式名称となったとみられる。趣意書の後ろに続く献金名簿によると、47の企業・個人等から合計4000円の献金を得ており、こうした資金をもとに衣ケ原飛行場に事務所と格納庫が建設されたと考えられる。右翼活動家の笹川良一は、国粋飛行連盟(後に国粋義勇飛行隊に改組)を昭和7年に創立し、昭和9年には同飛行隊の飛行場として盾津飛行場(大阪防空飛行場)を建設している(同飛行場はのちに大阪陸軍飛行場となる)。挙母町での日本防空義勇飛行隊の結成は、同時代のこうした他地域での動きも意識して行われたと考えられる。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻612ページ、11巻89ページ