(にゃくいちしゃほんでん)
【建築】
岩神町(足助地区)。創建および祭神については明らかではないが、本殿の建立年代は、棟札によれば享保15(1730)年で、大工は宝飯郡牛久保郷(現豊川市)の岡田善左衛門である。本殿は、一間社春日造で、屋根は檜皮葺、正面庇に隅木を入れる。規模は、桁行1間、梁間1間とし、桁行1.15m(3尺8寸)、梁間1.03m(3尺4寸)、前庇の奥行を0.56m(1尺8寸)とする。軒は一軒繁垂木とし、破風の拝みに蕪懸魚を吊る。正面には、一間庇を設け、木階6級と擬宝珠柱付の登高欄を設ける。正側面三方には擬宝珠高欄付の縁を廻らし、両側面の縁後端に脇障子を立てる。庇柱は面取角柱とし、柱頂に頭貫虹梁を渡し、両端に木鼻を出している。柱上では実肘木付の連三斗を置き、中備に板蟇股を入れる。斗栱の内方には海老虹梁を入れて身舎柱と繋いでいる。身舎柱は円柱を土台上に立て、柱間には縁長押、内法長押、頭貫を通し、頭貫両端に木鼻を出している。柱上では実肘木付の出三斗を置き、軒桁を支えている。身舎正面の柱間は側面からの内法長押を柱位置で枕捌きとして内方に廻し、無目敷居と頭貫間を開放している。身舎正面の柱筋から、1尺5寸程奥に入り込ませた内陣正面では、両側面に4分の1円の柱を立て、縁長押と内法長押を通して、柱に方立を打ち、幣軸で両開き板唐戸を吊る。両側背面の柱間には、横板壁を嵌める。なお、本殿に彩色はない。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻231ページ