如光弟子帳

 

(にょこうでしちょう)

【古代・中世】

三河三か寺の一つである上宮寺の中世における門末の地域的分布を知ることのできる史料。如光の十七回忌の年に当たる文明16(1484)年に制作された。三河を中心に、さらに尾張・伊勢にも展開する如光の弟子たちの拠点、すなわち上宮寺末寺院・道場が105か所、記録されている。市域に関しては若林(後の圓楽寺〈若林西町〉)、高村(後の西雲寺〈住吉町〉)をはじめ27か所の地名(推定を含む)が見出され、同史料に記された三河60か所中、半数に近い。中には屋号を持つ俗人が道場主として記されるところもあり、またその地域的分布などからも、真宗門徒の歴史的性格が知られる。上宮寺には、その後の各道場の盛衰を書き込みまとめ直した『別本如光弟子帳』(「末寺鏡 教祐」、慶長年間〈1596~1615〉頃成立と推定)もあり、他にも天正・文禄・慶長年間の末寺帳や連判状が残されている。いずれにも市域の地名を冠する道場と道場主が見出され、豊田市にとっても貴重な地域史料である。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻428ページ

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