(にんぎょうしばい)
【民俗】〈祭礼・芸能〉
市域では地狂言、いわゆる素人歌舞伎が盛んであったのに比べ、人形芝居は低調であった。その中、小田木町(稲武地区)と上川口町(藤岡地区)では、かつて地域の人たちで人形芝居が演じられており、特に小田木町で使われた人形首や衣装は、知立の人形芝居とともに早くから研究者の間で高く評価されていた。師匠を招く費用に充てるため、共有の「人形田」もあったという。人形は三人遣いのものであり、長野県下伊那地方では現在も同種の人形芝居が残っていることから、阿波・淡路などの旅の人形遣いが同地に赴く際、飯田街道沿いの小田木に立ち寄って公演をしたことも当然考えられる。小田木町での上演は、明治8(1875)年が最後だとされるが、その後も10月の氏神祭礼の際には三番叟人形を境内に出している。平成25(2013)年には長野県飯田市の黒田人形の指導を受け、「小田木人形座」復活に向け、有志による活動が始まっている。〈祭礼・芸能〉
『新修豊田市史』関係箇所:17巻420ページ