農業協同組合の合併 

 

(のうぎょうきょうどうくみあいのがっぺい)

【現代】

昭和22(1947)年12月施行の農業協同組合法で「農民の共同組織の発達を促進し、以て農業生産力の増進と農民の経済的社会的地位の向上を図り、併せて国民経済の発展を期する(同法1条)」ために、戦前の農業会を基に昭和23年12月に全国で2万7819農協が設立された。豊田市の平地農村では、挙母町・高橋村・猿投村・石野村・保見村・松平村が1町村1農協、高岡村と上郷村がそれぞれ11農協(若林・竹・吉原・花園・駒場・中田・堤下・町・新馬場・乙尾・北中根)と6農協(鴛鴨・永覚・和会・上和会・上野・畝部)で発足した。しかし、総合農協は事業区域の狭さから経営基盤が脆弱で、政府は昭和31年の農業協同組合整備特別措置法で経営不振農協の解消を図った。さらに、各種補助事業の実施主体となり得る農協を創設するため、昭和36年の農業協同組合合併助成法で、合併による農協の規模拡大を進めた。これを境に、全国の農協数は急減した。豊田市の平地農村でも、昭和37年4月に高岡町農協、昭和39年2月に上郷町農協が発足し、昭和40年12月に高橋村農協が豊田市農協と合併し、昭和41年2月に猿投町農協が発足して、豊田・猿投・高岡・上郷・松平の5農協体制となった。これら5農協は補助事業の実施主体となり、農業近代化の要となった。他方、高度経済成長期以降、養蚕等の特定作目・畜種の専門農協や各開拓地の開拓農協は変化を強いられ、解散していった。バブル経済以降、全国では、バブル経済で傷ついた経営基盤を強化するため、総合農協の広域合併が進められ、奈良県のように全県が一つの農協に合併して、農協-全国連合会の二段階制へ再編された地域もあった。愛知県はそれと異なり、農協の広域化が模索され、豊田市の平地農村の場合、平成5(1993)年4月に5農協が合併して豊田市農業協同組合となり、平成14年4月に豊田市・よつば・三好・下山村の4農協が合併して、あいち豊田農業協同組合が設立された。

『新修豊田市史』関係箇所:5巻47・245・438・586ページ

→ あいち豊田農業協同組合