(のうさんぎょそんけいざいこうせいうんどう)
【近代】
農林省によって昭和7(1932)年から同18年まで展開された官製運動。昭和恐慌からの農村経済立て直しを挙村一致で組織的・計画的に行うことが基本方針とされ、行政町村の公職者や農業団体の役職者が農村中心人物として運動を指導することが期待された。政府の財政的支援ではなく自力更生(勤労強化や消費節約)を旨としたが、昭和11~16年度には経済更生特別助成事業が展開され、一定数の町村を選別し、共同施設設置などへの国庫助成や低利資金融資も併用されている。昭和10年の調査では、市域からは6人の中心人物が農林省に報告された。うち4人は、中村寿一、古橋道紀ら行政町村の幹部であるが、西加茂郡小原村からは、農会技術員の福井一二三と「一老婆」藤島ぎんを見出せる。藤島は愛知県下唯一の女性中心人物で、全国的にも極めてまれな事例であり、特筆に値する。その業績は、婦人会活動の活性化であった。また特別助成事業には、小原村等9か村が選定され、産業振興や産業組合の施設拡充などが実施された。経済更生運動で構築された挙村一致体制は、昭和12年の日中戦争を機に、戦時動員体制へと速やかに転換した。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻548ページ