(のうちのりゅうどうか)
【現代】
農地の所有や利用を行う主体が売買や貸借による権利移動で変化することをいう。昭和27(1952)年7月制定の農地法における自作農主義(農地所有者=耕作者)の考えは、高度経済成長期以降、離農や兼業化の進展の中で実態に合わなくなり、農地の賃貸借を拡大しながら農地を流動化して、経営規模を拡大して経営を効率化させる農業構造の改革が模索されてきた。豊田市の平地農村では、西三河平坦地同様に稲作の地域的組織化が農地流動化によって進展した。例えば、高岡地区では、農協が稲作技術信託事業を昭和42年に始め、その後の農協を介して地域の農地を農業生産組織へ賃貸させる「高岡方式」は、政府制定の農用地利用増進法(昭和55年5月)のモデルになったといわれ、それら組織は「地域農業の先端を進む、全国でもまれに見る組織」と評された。このように、賃貸による農地流動化は、工業化の中で全国的にも早期に進展し、土地利用型農業の大規模経営を成立させる基盤として作用してきた。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻226・420・573ページ
→ 農業生産組織