(のうちのりようしゅうせき)
【現代】
農地の有効利用を図るために、農地の利用を認定農業者等へ売買・賃貸・農作業受委託によって集約化することを指す。政府は、高度経済成長期以降、農地の賃貸借を促進して、農業経営の規模を拡大させ、農業経営の効率化を図ってきた。とりわけ、昭和55(1980)年5月制定の農用地利用増進法によって農地の利用権(農地の貸借等の権利)設定が進展し、平成5(1993)年の同法改正による農業経営基盤強化促進法制定で認定農業者等への農地利用の集積が、集落等を区域とした農用地利用改善団体による調整で進められるようにした。この結果,日本全体の農地利用の集積割合は、平成7年度末の17.1%から平成17年度末に38.5%、平成26年度末に50.3%と高まり、平成30年度末に56.2%になった。豊田市では、平地農村において農地利用の集積が進展した。その農地利用権の設定は、高岡地区の農業生産組織への農地貸借(昭和51年)から始まった。他方、集落単位での農地の利用調整は、上郷地区での集団転作(昭和53年)時に始まり、各地で農業生産組織と中核農家が集落における地域ぐるみの計画転作を担うことで、農地利用の集積が進展した。こうして、平地農村における一戸当たり借入耕地面積は、平成7年に72.7aに過ぎなかったが、平成17年に274.4a、平成27年に416.6aに拡大し、借地率も平成17年に37.0%、平成27年に52.1%となった。この結果、平地農村では、大規模経営体が育成されてきた。それは、平成17年に経営耕地規模10ha以上の17経営体(総経営体の0.7%)に経営耕地全体の31.3%が集まり、平成27年に44.3%を占めるまでになったことに現れている。なお、高岡地区の場合、2経営体で平成17年に地区の経営耕地の過半数弱を占めていた。大規模経営体への集積は、ほ場整備事業によるほ場の大区画等の土地改良というハードと地域の農地の利用調整というソフトの両面から推し進められたものであり、「農地の利用調整による優良農地の保全、農地の流動化・利用集積の拡大」という市の課題に対応するものであった。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻422・573・722ページ