(のみやま)
【近世】
山室村と牛野村の境にある山(標高116.7m)。峠には天王社があり、両村とも氏神としている。山は幕府の御林とされ、慶長9(1604)年山室村の惣九郎が山廻りに任じられ、その後も代々山廻りを世襲している。山廻りとは盗伐などの監視をはじめ、領主が設定した御林の管理を行うために置くもので、惣九郎の場合手当がわりに20石分の諸役が免除されている。天明元(1781)年山境をめぐって山室村と牛野村の争論が起こり、代官の裁定が下されている。双方の主張には確たる証拠があるわけではなく、山中の境は定めがたいと、今後も境を定めず両村で山を守っていくようにとの申渡しであった。この申渡しでは天王社についても触れており、拝殿の修復費用は両村で折半し、祭礼の節も争うことがないようにと述べている。山境論の決着として、杭をたてるなどして境界を定めることが多いが、双方で山を管理していくよう裁定したのはまれな例である。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻251ページ、8巻178ページ