(はいせきいこう・しゅうせきいこう)
【考古】
石を配して組んだり(配石)、あるいは集めて(集石)構築された遺構の総称。ただし石囲炉や敷石建物は除く。配石遺構には、多くの石が集められて遺跡全体で大きな構造をなしているものもあれば、個々の遺構に設けられた規模の小さなものもある。東日本では秋田県鹿角市の大湯環状列石や青森県青森市の小牧野遺跡のように、全体で大きな環状を呈している配石遺構が知られており、それらは二至二分といわれる太陽の日出・日没と関係しているのではないかとみられている。また、富士山麓の静岡県富士宮市千居遺跡の配石遺構については、富士山信仰や湧水に関わる可能性が指摘されている。祭祀場であり、巨大なモニュメントとしての性格も強い。東海西部地域では、遺跡全体に展開する配石遺構は少ないものの、三重県松阪市の天白遺跡や市内松平地区の中川原遺跡・三斗目遺跡(写真)のほか、足助地区の今朝平遺跡でも確認されている。それらの配石・集石は、土坑の形成(埋土中あるいは埋土上)過程、あるいは遺物包含層が作られていく途中で形成されたものが多い。規模が小さいものの、足助地区の木用遺跡や下平町馬場遺跡でも類似の配石遺構が確認されている。このような配石遺構は、縄文時代後期以降の遺跡形成の一端を示すものであり、比較的規模の大きな集落において、廃棄(送り場)を伴う祭祀行為の中で築かれたとみられる。配石遺構や集石遺構を構成する礫には河原石が用いられている場合が多いが、三斗目遺跡では大型石棒や棒状礫、石皿台石類、磨石敲石類も組み込まれている。
資料提供者「(公財)愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター」
『新修豊田市史』関係箇所:1巻126ページ、18巻194・214・272・373・409ページ