(はくさんじんじゃほんでん)
【建築】
立岩町(下山地区)。建長2(1250)年の創建といい、郷士大山教実が明川村から来住し、産土神として白山神社を祀ったと伝える。本殿の建立年代は、棟札から元禄5(1692)年の建立であることが分かる。現在は茅葺の覆屋内に建つ。本殿は、桁行3間、梁間2間の身舎の正面に三間庇を設けた三間社流造の社殿で、現在屋根は板葺の折屋根としているが、当初は杮葺であったと考えられる。身舎の柱は円柱で、四周に縁長押を廻らし、正側三面に刎高欄付の縁を設け、側面の縁後端には脇障子を立てる。また、縁正面には登高欄付の木階7級を設ける。身舎正面の3間には無目の敷居と鴨居を通して柱間を開放し、この奥1間を内陣とする。側面および背面の各柱間には敷居・鴨居・内法長押を通し、横板壁を設ける。妻飾は虹梁大瓶束で、束上に大斗実肘木を載せて化粧棟木を受ける。身舎の前方1間を外陣とし、床を長押1段高くして、現在は畳を敷き、天井には鏡天井を張っているが、これらは近年の改造による。身舎正面の柱筋に縁長押・敷居・鴨居・内法長押を通し、各柱間に方立・小脇羽目を設け、両開きの板唐戸を吊って、この奥を内陣としている。庇柱は面取角柱で、柱間に頭貫虹梁をいれ、端に木鼻を出す。柱上には両端に連三斗、中2本には拳鼻付の平三斗を載せ、中備は中央間に蟇股、両脇間には撥束を入れる。両端では庇と身舎の柱間に海老虹梁を架ける。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻244ページ