白鳳寺

 

(はくほうじ)

【古代・中世】

猿投社の神宮寺の名であるが、同寺号の文献史料上の初見は天正18(1590)年とされる。保見町にある通称「白鳳寺跡」との関係が指摘されることもあるが、史実の解明は困難である。猿投社の神宮寺は白鳳年間に創立されたという伝承を持ち、猿投社境内に同寺塔の心礎と伝えられる石が残され、その石が奈良時代のものと推定されてはいる。『貞和五年年中祭礼記』には神宮寺堂舎の再建に関する記述があり、同寺の由来も記されている。それによれば神宮寺の本尊は弘沢寺澄厳聖の勧進により造立されたという。この本尊を安置する堂舎は永暦元(1160)年に造営されたが、大破に及んだため貞和5(1349)に堂舎再建事業がなされるに至ったということである。その後、多くの坊舎の存在が各史料から見出され、長きにわたり社僧の活動拠点となったが、嘉永6(1853)年の火災で神宮寺の諸殿はほぼ焼失。護摩堂のみ再建されるも、明治初年に神宮寺自体が廃絶した。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻119・170ページ

→ 伊保廃寺猿投社(猿投神社)『貞和五年年中祭礼記』